木原光知子さんのご冥福をお祈りします
ようやく体が復活しました!
今回で2回目ですが、倒れる度、具合が悪くなる度に
「死」の恐怖を感じます。
母の死を見ているだけに、「もしかして・・・」
なんて不安になるのです。
それくらい普段の状況に比べたら辛い症状になるので・・・
元気に忙しくしてるけど、ある日突然・・・なんて時々思います。
昔、母に
「無理は禁物。心に余裕を。」といわれ続けたことを思い出しました。
忙しい生活は好きだけど、時々自分でも無理してるなあと思ってたので、
今回4日ほどほんとにただ休むだけで過ごして、いろいろ考えました。
そして、具合が悪くなる前に入ってきた訃報。
マスコミ発表の前に連絡が入っていたのですが、本当にびっくりしました。
光知子さんを知る人はみなそう思ったと思いますが、
最近、また精力的に活動されていて、「まさにこれから」という
人生を歩んでいたのに・・・
私は現役時代から同じ苗字ということで、本当に何百回と
「木原さんは木原光知子さんとは関係あるんですか?」
と聞かれました。
あまりにも聞かれる(いまだに聞かれます)ので、
「遠い親戚です。なんて言っちゃおうかと思うんですよ」なんて
言ってたこともあります。
それほど、私に昔から「水泳界における木原さん」
の大きい存在を感じずにはいられませんでした。
でも、現役時代にお話できることはなく、光知子さんにお会いできる
ようになったのは現役を終えただいぶ後のことでした。
結婚して、岡山に来ることが決まっていたので
「木原 岡山 水泳」で光知子さんを素通りするわけにはいかないと
事務所にご挨拶に行ったのが、約2年前でした。
噂どおりの気さくなお姉さんという感じで、木原という苗字の話しから、
「岡山は商売するには厳しいというからねえ」とか、お忙しい中
色々なお話をすることができました。
「両親がいて、岡山にはよく行くからまた会おうね。
なんかあったらすぐ電話ちょうだい」と
マネージャーさんと、光知子さんの電話番号を教えてくれました。
その後、私も忙しく「いつかいつかまた挨拶にいこう」
と思い続けて2年、もう一度会う夢は叶うことができなくなってしまいました。
郷土岡山を愛し、水泳、スポーツを愛した光知子さんが
してきた功績はものすごいものですが、そのほんの少しでも
意思を引き継ぎ、光知子さんが考えていた後世に残るものが
ちょっとでも私ができればと思います。
木原光知子さんのご冥福を心から深くお祈りいたします。
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